私のバックパッカー時代の続編 by 投資スクール代表 青柳仁子

こんにちは
投資スクールブルーストーンアカデミーの
青柳仁子です。

今日は、私の経営する
ブルーストーンアカデミー会員向けの
個別相談の日です。

お金の管理や運用は、
日常の生活の中では
ついつい後回しにしてしまいがちですが、

毎月定期的に相談をすると、

「相談日までに何かやらなきゃ」

という強制力が働くので、
少しずつでも前に進みますよ。

できることから、
一つずつ改善を始めると良いと思います。

さて、先日、
あるメルマガ読者さんから、

「青柳さんのバックパッカー時代の話
最後まで書いてください!」

と言われました。

どういうことかというと、
以前にこのメルマガで、
私の大学時代のことを書いたのですが、
その時の話が

「大学時代バックパッカーをしていた、というところで
話が途中で終わってしまったので、
その話の続きを最後まで読みたい」

ということらしいです。

私は、途中で止めたのかどうか
あまり覚えていないので
何をどこまで書いたのか定かではないのですが(^^;)、、、

リスクエストにお応えして
何となく続きを書こうと思います。

少し学生時代を遡って書きますと、

私は高校までは山形の田舎で学生時代を送り、
ガリ勉の優等生としてよく勉強しました。

負けず嫌いの私は、
成績は学年トップクラスで
部活はテニス部に所属して
毎日遅くまで練習し
帰宅後に勉強していました。

受験勉強が始まると、更に、
寝る間を惜しんで勉強し、

そして、

「大学は東京へ行くんだ!
そして、世界で活躍できる人になるんだ!」

と大志を抱いて大学を受験し、

筑波大学国際総合学類(元国際関係)へ
進学したのです。

そうなのです、
田舎者の私は、筑波大学も「東京の近くの大学」
だと思っていたのですね(゚Д゚;)

実際は、茨城県のつくば学園都市なので、
関東ではありますが、
東京ではなかったのです。

まあ、それは良しとして、
とにかく私は、「国際人」になるために
大学へ進学し、そこでも猛勉強しました。

ところが、
一つ問題を抱えていました。

それは、

「英語が話せないし
ヒアリングも苦手」

ということ。

ガリ勉の私は、
受験用の英語の読み書きはよくできましたが、
会話やヒアリングは田舎の高校では
ほとんど教わっておらず、大の苦手でした。

それなのに大学に入学した途端に、

「授業の半分以上が英語で行われる」

という状況でした。

英語を学ぶ授業ではなくて、

「英語で」政治や経済を学ぶということですよ。

もちろん、先生は外国人です。

英語ができないと
授業がほとんど理解できず、

1年経って、
このままでは落ちこぼれてしまう!
と危機感を持った私は、

「そうだ、留学しよう!」

と決意します。

しかし、
バブルが弾けてすぐでしたから
会社を経営していた父はそれほど
資金に余裕はなく、

弟たちの学費もかさむ中で
とても留学費用の負担を親に
お願いできる状況では有りませんでした。

そこでどうしたかというと、、、

続きはまた明日書きますね。

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

関連記事

ページ上部へ戻る